生徒会④

はいどうも。夏は熱膨張で扉が開きにくくなる家に住んでますMZKです。

 

mazikanto.hatenablog.com

 

おそらくこの記事で最後だな!長々と読んでくれてありがとうね!

ーー生徒会を辞められなかったMZKは、無気力ながらも活動していた。だがそこへコロナウイルスの影響がやって来るのだったーー

 

 

時は高校3年生。

コロナの影響で学校自体が不安定になり、先輩方の卒業式、そして学校祭の有無が揺らぎ始めた。当然だ。体育館に大人数が集まって行う学校祭は、どう足掻いても感染対策の可不可を問われる。先生方から「今年の学校祭を開催しますか?するならどうやってしますか?」という旨の質問が投げかけられた。

例年、後期生徒会は次年度の4月で任期を終えていたが、緊急事態宣言や自粛によって始業自体が延期され、生徒会の任期も夏休み直前まで伸ばされた。一刻も早く生徒会を辞めたかったのに任期が伸びて、私は限界だった。

正直、私個人の意見としてはどちらでも良かった。今更生徒の意見を聞いてもらえるはずもないと信用していなかった。

 

1人で考えていても埒が明かないので、役員の皆とクラスの友人たちに意見を聞いた。

結果、ほとんどの人が開催を希望した。私には腐っているように見えるものの、やっぱり学校祭は楽しいものであり続けているようだった。そりゃあそうだ、お祭りは青春なんだ。こんなご時世でも開催を期待してくれる生徒達の思いに今度こそ応えたい、と熱意を再燃させた。

会長に就任した当初はキャンプファイアのような熱意だったのに、3年生になる頃には線香の火のような熱意しか灯っていなかった。それを蠟燭の火ぐらいまで復活できたのは、生徒たちの期待に背中を押されてのことだった。これが最後の炎だと思って、私は再びやる気を持って生徒会活動をすることを決意した。実に1年半ぶりの熱意である。惰性で会長を務めるとはおかしな話だ。

大学での友人達は分からないかもしれないが、私は元来真面目な人間だった。そんなわけで、熱意を糧に後述するマニュアル作成に勤しむこととなる。

 

まず、学校祭の開催について生徒側の意志を決定した。

生徒会は体育館を常時換気&観客席の拡張&入場制限を設けることで、開催決行を決めた。先生方の中でも「感染のリスクを考えて開催中止」と「対策した上で開催決行」とで意見が真っ二つに分かれていたが、生徒会の意見に後押しされて開催する方向に固まった。

問題は演目だった。長時間体育館を使用することは好ましくないとのことで、短時間でできる出し物を考える必要が出てきた。

生徒会と先生で演目について考えたが、ふさわしい演目は思いつかなかった。感染対策が可能でかつ短時間で皆が楽しめる演目を考えるなど難しい話である。

結局、演目はほぼ定めずに各クラスが思い思いの出し物をすることとなった。

 

学校祭の諸々の他に、私にはやるべき事があった。「生徒会マニュアル」の制作である。

前の記事でも綴ったが、生徒会活動の失敗はスケジューリングの甘さが招いていた。それを解消すべく、書記が半ページだけ使用していた生徒会ノートをひったくり、一年の活動計画とコツを目一杯書き殴った。もし先輩がノウハウを引き継がない事があっても、後輩たちが悔いのない活動ができるように…と怨念を込めて。ひぇひぇひぇ。

 

そして時は3年生後期。私たちは生徒会を辞めた。そして学校祭がやってきた。

我々3年生、ここぞとばかりにダンスをした。ミラーボールやペンライトは無いけれど、自分たちがやりたい事をやれる学校祭は素晴らしかった。不思議なことに、コロナで日常が縛られている一方で、祭りは以前より自由になった。

汚い事を言うが「ざまあ!!!」と思った。思う形ではないにしても、私が生徒会長になった当初の目的は果たされた。今回の祭りで演目の流れを変えて、後輩役員たちが引っ張って行ってくれるだろうと希望を馳せた。

 

私は最後の学校祭で、初めてただの学生として祭りを楽しんだ。コロナの影響で、PTA主催の飲食系のお店が出せないなど、例年通りの出し物ではなかった。それでも友達と校舎中を巡る祭りは非日常で、澄んだ気持ちになったことを覚えている。学校祭っていいなと、成果はともあれ頑張った甲斐はあったなと、そう思った。

マニュアルやら副会長としての遺言やら、色々残していったつもりだ。卒業後に様子を見に行ったことなぞ一度たりとも無いが、うまくやってくれていたらなと切に願う。

 

以上が、色んな感情と挫折を味わいながら駆け抜けた、私の3年間の戦いの物語だ。

よくわからん組織でも見えない所で色んな事してんだな~と思ってもらえると嬉しいような、別にそうでもないような…?

あ!?何が書きたかったとかねぇから!!おめぇの席ねぇから!!

 

 

 

 

                         終

                       制作・著者

                      ーーーーーーーー

                         M Z K

 

ーーーーーーーーーーーー

長い話なのに読んでくれてありがとう。

別段何を伝えたいわけでもなく書き始めたけれど、この長い話を読んでどう思っただろうか。もし何かを得られたのなら、掃き溜めに捨てられたゴミから何かを拾い上げられる才能持ちということで明日からは胸張って生きていただきたいデスネ。

ちなみに学校の融通が利かないのは割とどこででもある事だと思いますし、生徒会で得たものは挫折以外にも沢山ありました。私はもう学校をポジティブに見られませんが、記事を読んだことで学校に対して悲観的になった方がいらしたとしたら、否定しておきます。しておいてやる。

 

 

ごく一部の読者にしか伝わらない事を残してみる。

私は大学でとある事を始め、そして半年で辞めた。深く掘り下げると当事者さんたちを傷付けかねないので言わないが、辞めた理由は「あの頃の生徒会活動と同じ轍を踏んでいる」という感覚があったからだった。ただ、辞める間際、私と同じ挫折を回避できるだけの熱意と行動力が見られてちょっと羨ましく感じたこと、本当に応援していることを綴っておく。

もう一つ、最近新しくサークルに加入した。加入を決めた理由を語るとなると、以上のような記事4つ分の説明が要る気がしなくもないので「面白そうだったから」で済ませているが、「生徒の手で何かを作って成し遂げる事に憧れた」というのが本心である。生徒会長までやっててこの理由って悲しいな。とても充実してるよありがとう。