生徒会①

はいどうも。冬に横断歩道の白線で2回転んだ事がありますMZKです。

 

何書けば良いか分からんので、私がよくトゥウィッタァに呟いている生徒会の話でもしようかなと思う。ぶっちゃけ読む価値はない。

夢と希望と青春に溢れた生徒会を期待しているピュアな人間は読まないで欲しい。とか言って脅しておくぞ。

それから、私の母校がどこか分かってしまっても、何も言わないでやってほしい。母校が嫌いだから書くわけじゃない。母校は好き。この記事はただ掃き溜めに掃き溜めるだけです。

 

時は高校時代。中学まで無気力だった私は、日常の変化を求めて生徒会に立候補した。

高校の生徒会は立候補すればとりあえず信任されるような緩い組織で、半年ごとに生徒会選挙を実施していた。

 

 

前期には学校祭の運営という仕事があった(ほぼ雑用なので割愛)。学校祭は各学年ごとに演目が決められており、その演目に沿って各クラスが思い思いの出し物をしていた。1年生は合唱、2年生は演劇、3年生はダンスだった。

学校祭当日、3年生の演目を体育館の2階という特等席で見られる事になった。生徒会役員の特権だったこともあって、ウキウキで観させてもらった。

3年生の演目は凄まじい迫力と熱気があって、一言で言うと「最高」だった。観客席ではペンライトやうちわを振る人がいて、ミラーボールが回ったり映像が流れたり突然歌いだしたり、まるでライブ会場だった。合唱コンクールや文化部の作品展示だけを経験してきた私には刺激が強くて、初めて卵かけご飯を食べた時ぐらい感動した。

3年生が学校祭にかける熱意は本物だった。

 

学校祭が終わり、感動冷めやらぬうちに、来年から3年生の演目がダンスから演劇に変更されてしまうことを知った。

2年生と同じ演目になるのが嫌だったのか。変更される理由が知りたかったのか。3年生の熱意を奪うのが酷いと思ったのか…自分達もあの感動を紡げると期待していたのかも。とにかく私は、どうしても演目の変更に抗いたかった。

 

だから私は生徒会長に立候補した。理由はこれだけだったけれど、信任までは一瞬だった。

公約はちょっと…ちょっとだけ取り繕っちまった。テヘ

 

生徒会に5人ぐらいいた先輩方は、後期には誰一人として残らずに辞めていった。引継ぎを一切してくれなかったことを少し恨んでいると言っておこうではないか。

後期には来年の学校祭に向けて校長先生と談判する機会が設けられているということで、1年生役員の私達は全校生徒に向けてアンケートを行った。内容はもちろん、来年の学校祭のこと。3年生の演目がダンスから演劇に変更されると知って、全校生徒の過半数、約600人が変更に反対した。生徒会の他の仕事も詰まっていて忙しかったけれど、1ヵ月かけて談判で認めてもらえそうな資料は集まった。

 

そんなわけで校長先生にアンケート結果を通して約600人の意見を伝えた。

もう決まったことだから」「生徒が問題を起こさないようになったら考える

テンプレみたいな答えが返ってきた。学校という面倒な組織はマジでクソだと思った。談判に付き合ってくださった先生方のことは、私達と同じく学校に振り回される人間だと思っているので恨めなかった。代わりに学校そのものに矛先が向くという。妙な感情である。

理由の半分は役員の力不足にあるが、張り詰めた空気の割にグダグダな談判だった。

ただ、変更を取りやめてもらえると、そう思えるだけの意志と資料は揃っていた。

 

お察しの通り、談判虚しく3年生の演目は変更され、来年からは演劇をすることになった。

「これが挫折だな!?」と思った。そうだ挫折だ。私達生徒会は失敗した。

役員や先生方が活動に熱心だったこともあって、精神的ダメージは少なかった。

演目変更の阻止が目的だったのに打ち砕かれた。それでも私は尻を拭えるチャンスを期待してか、2年生になっても生徒会長を続けることになる。お前は昔からそうだ。トイレットペーパー女め。水に流されて死ぬんだお前は。

 

続く